2025.06.30
ワイツーレザーが惚れ込む、世界屈指のディアスキンタンナー
古来、日本人と高い親和性で結ばれてきた「鹿革」を纏いたい。
ワイツーレザーといえば、エコホースやインディゴホースを始めとする馬革のプロダクトを連想する方も多いでしょう。また革ジャンといえば固く引き締まった革と格闘して調教するイメージも強いですよね。けれども、これらはレザーの愉しみ方のごく一部です。ワイツーレザーは“レザー”のスペシャリストとして、ホース以外のレザーにおいてもフルスイングでこだわったプロダクトを創っていることを知っていただきたい! と常々思っています。そこで今回は僕が今もっとも注目しているレザーマテリアルの一つ、ディアスキン=鹿革のタンナーについて触れていきたいと思います。
ディアスキンは、意外にも日本でもっとも古くから親しまれてきた皮革素材で、東大寺正倉院には足袋を始め、鹿革製の宝物が数多く奉納されています。しかも1300年以上が経過しているにもかかわらず、それらは今もってしなやかさを保っているそうです。当時から鹿革は重要な神事や武具などに使われ、伝統的な素材として現在も受け継がれています。常に日本の歴史と密接な関係にあったのは「通気性があって湿気や水に強い」という鹿革の特性が、日本の高温多湿な気候に適していたからでしょう。
そして何よりも僕らが惹かれるのは、その質感です。とりわけ顔料を使用せず、オイルをしっかりと吸収して封じ込めた“素上げ”で、吸い付くような、あるいは指に絡みつくような柔らかくしっとりした、まさに第二の皮膚ともいえるような極上のディアスキンをレザージャケットに仕立てて、その包まれるようなフィット感を具現化したい……。
よって僕らが求めるディアスキンの絶対条件とはジャケットにふさわしい充分な厚みがあり、傷が少なく大判であること。なかなかに狭き門ですが、それほど上質なディアを探すと必然的に辿り着くのが、奈良県の「藤岡勇吉本店」です。同タンナーは奈良県の山間にある静かな町に拠点を置き、1883年(明治16年)に、初代藤岡勇吉さんが鹿革の鞣し業を始めて以来、まもなく150周年を迎えようとする老舗中の老舗。宮内庁で使用される革手袋や1400年前から続く“蹴鞠”の鞠、戦時中には零戦の操縦用手袋などを供給したそうです。そして現在、身近なところでは剣道の防具やセーム革(カメラなどのレンズを拭くクロス)などを生産し、世界でも類を見ないディアスキンの名門タンナーとして、その名を知られています。
伝統を守り抜きアップデートも重ねる老舗タンナーの矜恃
藤岡勇吉本店とワイツーレザーの関係は五代目となる藤岡繁壽社長と弊社の現会長、つまり父の時代から続いており、シーズンごとに上質なディアスキンを供給していただいています。しかしながらなかなか訪問の機会に恵まれず、僕が前回お邪魔したのは10年も前のこと。ようやく今年、3月某日に「ヘイルメリーマガジン」の取材がキッカケで10年振りの再訪を果たすことができました。
実はこれには裏話があるんです。藤岡さんはここ10年ほど、一部の新聞を除くメディアには一切露出してこなかったんです。聞けば対応できないほど多忙で、モノづくりに徹したいために、申し訳ないけれど全てのオファーを断っているとのこと。今回はヘイルメリーマガジンの5月号のワイツー特集のために、という編集部からのリクエストがあり、ダメもとで訊いてみたら「原材料のサプライヤーとして取材に協力するのも当たり前じゃないかなって、その時ふと思ったんです」と、なんと快諾してくれたんです。取材陣もかつて藤岡さんと接点があったそうなので、それも幸いしたのかもしれませんが、かくして僕らは藤岡勇吉本店を訪問したのです。
およそ2世紀に建立された宇太水分(うだのみくまり)神社に護られた芳野川からの分水が流れる川沿いに藤岡勇吉本店は立地しており、これまで一度も枯れたことがないその豊かな地下水を用いて、鹿革の鞣しを行っているそうです。革鞣しには大量の水が必要となり、また水質が革の仕上がりを大きく左右します。この地で五世代にわたって上質な鹿革を生み出してきたということは、その水質がいかに鹿革の鞣しに重要であるかを意味しており、敷地内に水神様が厳かに祀られていることも代々この水源を大切に守り続けていることが容易に想像できます。
そんなお話に耳を傾けながらの工場見学では、いたるところに職人としてのプライドを感じさせる丁寧な作業風景がありました。革とは思えないほどの薄さを実現した0.3mm厚の革新的なディアがあったり、かたや一年間積み上げて寝かせた藁を燃やして鹿革を燻した伝統的な“燻革”があったり……。
「代々の社長たちが時代に合ったものをきっちり、そして手間を省かず真面目につくってきたことで150年もの間、生き残ることができたと思っています。ポリシーがブレてしまうと、自分を見失ってしまいますからね。そうなったら僕らはおしまいなんですよ」。そう語る五代目の藤岡繁壽さんもまた、ご自身の代で初めてアパレルを手掛けるようになり、その決断が、同社のハイクオリティーなディアスキンの認知度が日本のアメカジファン、そして海外へも広まる契機となりました。
こうして知名度が上がっても藤岡さんは驕ることなく、手間を省いて楽をするよりもむしろ一手間も二手間も加えることを厭わずに“より良いものをつくる”ことを忠実に守りる。その一方でユニークな革を生み出すなどのアップデートにも力を抜かないのは、ワイツーレザーの信念にも通じるところがありますね。また驚いたことに、藤岡さんご自身も毎朝三時には工場へ出勤して、仕上がった革を一枚ずつみずから検品する生活を若い頃から欠かさないそうです。
今回、10年振りに藤岡さんの現場でお話を伺い、モノづくりへのブレない姿勢や、時代とともに進化しながら日本の老舗産業を護り抜く矜恃を強く感じ、その生き様に大きな刺激を受けました。改めて「ディアスキンを使いたい」、ではなく「藤岡勇吉本店のディアスキンを使いたい」という想いがより強固になった訪問となりました。